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バブル経済の興亡!そのメカニズムと影響

1. バブルとは?

バブルとは、経済や資産価格が異常に膨れ上がり、現実の価値から乖離した状態を指します。バブルは通常、需要と供給のバランスが崩れた状態や投機的な動きによって引き起こされます。

「人類初のバブル」とされるオランダのチューリップ・バブルについて。これはトルコから入ってきた珍しくも美しい植物に人々が熱狂し、価格がどんどん高騰していったお話です。最初は金持ちから始まったブームが中産階級まで広がり、人々は次第に、自分がチューリップを買うのに、どれだけの財をつぎ込んだのかを競い合うようになっていきます。その後もチューリップへの投機熱は、どんどん過熱し、ブームが最高潮に達した頃には、球根1つを4.8ヘクタールの土地と交換したという話や、球根を玉ねぎと勘違いして食べた外国人の船乗りが逮捕されたといった話まで出てきました。

しかし、さすがにここまでくると、分別ある人たちは「今の状況はおかしい」と気づき、売り始めます。すると市場はパニックになって売り注文が続出し、価格はすごい勢いで下がり始めました。売買契約をめぐるトラブルも増えましたが、裁判所はチューリップ投機を「契約ではなく賭博」とみなし、介入を拒みました。このようにして、チューリップ・バブルはオランダ経済に深刻なダメージを与えつつ、はじけていったのです。

蔭山克秀「「チューリップに熱狂」バブルの世界史に学ぶ、今どう行動すべきか」プレジデント・オンライン

2. バブル崩壊のメカニズム

バブル崩壊は通常、バブルが持続することができなくなった時に発生します。需要や投資が飽和状態に達し、市場が飽和状態になるとバブルは崩壊します。この崩壊は急速であり、価格や経済指標が急落することが特徴です。

3. 過去のバブル崩壊事例

過去には様々なバブル崩壊の事例があります。代表的なものとして、1980年代の日本のバブル経済崩壊や2008年のリーマンショックがあります。これらの事例から、バブル崩壊が経済や社会に与える深刻な影響が浮き彫りになりました。

 僕は予備校の授業で「バブル崩壊は1991年から」と教える。実際、地価の下落が始まったのは1991年だから、これは間違っていない。

 しかし、景気が明らかにおかしくなったなと実感できたのは、1993年の頭ぐらいからだった。でも実は、株価だけなら、すでに1989年末をピークに下がり続けていた。

 なぜこんなズレが生じたのか? 地価下落と不況の実感にズレが生じるのは、これはある意味当然の話だ。だって、不動産がうまく転がらなくなったからといって、その瞬間企業が即死するわけじゃないし、銀行から借りられなくなっても、まだまだ農協マネーをバックにつけている住専や長銀からは資金を借りられたからだ(住専破綻は1995年、長銀破綻は1998年)。

 ただ、全体的に資金繰りが苦しくなってきているのは事実だから、不況の実感も徐々に追いついてくる。そのタイムラグが1~2年かかったというだけの話だ。

 しかし、株価の方は1989年末を過ぎると、その後はかなりヤバいペースで下がり続け、1990年末には日経平均株価は2万3000円台にまで下落している。これは相当な下げ幅だ。ということは、少なくともこの時点で株価バブルは崩壊し、誰もが日本の先行きに危険な臭いが立ち込めていることを予感できたはずだ。

 でも、まだその時点では、全体的なバブル傾向は弾けなかった。なぜか? それはまだ、地価が下がっていなかったからだ。つまり、僕らの脳みそは、この数年間バブルの毒にどっぷり浸かって完全にバラ色に汚染されており、すっかり楽観的になった僕らは、この繁栄がもうすぐ終わりを迎えるなんて考えもしなかったのだ(バブルのときはどの国の人もみんなこうなる)。

 だから、正常なリスク判断ができず、「株価が下がったのなら、土地で取り戻せばいいじゃないか」みたいな考え方になっていたのだ。「パチスロでしくじったから、麻雀で取り返そう」──これはカイジや留年マニアと同じ、クズ人間の発想だ。

 そして1993年頃、バブル崩壊による本格的不況時代の到来を、僕らは身をもって痛感させられることになる。

蔭山克秀「今知っておきたい、90年代のバブル崩壊物語 3分で学びなおす日本経済史」ダイヤモンド・オンライン

4. バブル崩壊の影響

バブル崩壊は経済だけでなく、社会全体に大きな影響を及ぼします。景気の後退や企業の倒産、雇用の減少、資産価値の急落などが起こり、多くの人々が影響を受けます。また、バブル崩壊後の経済再建にも時間がかかることがあります。

バブル経済崩壊後の1990年代を、よく「失われた10年」と呼びますが、2000年代に入ってからも、日本の経済成長は1970年代、1980年代に比べて緩慢なものにとどまっていました。バブル崩壊で露呈した銀行の不良債権問題や企業のバランスシートの傷みといった問題は基本的に解決していたにもかかわらず、経済成長はバブル崩壊以前の水準に戻らなかったのです。そこには不良債権問題やバランスシートの毀損だけではない構造問題があると考えられます。そうした構造問題をマクロの視点からきちんと数量的に評価することが重要であると考えました。

(略)

非製造業と製造業を分けて考えると、非製造業の場合はバブル経済期を除き、それ以前からTFP上昇がずっと停滞していました。製造業では、現場の労働者を重視して生産性を高める日本独自のモノづくりのシステムが広く確立していましたが、非製造業ではこのようなシステムができなかったことが一因と考えられます。

製造業をさらに大企業と中小企業に分けて分析してみると、大企業は1990年代半ば以降、盛んなR&D(研究開発)や国際化を通じて1980年代以上のTFPの上昇を実現しています。つまり、大企業にとっては「失われた20年」どころか「失われた10年」でもなく、せいぜい「失われた5年」程度でTFPの再上昇を果たしているのです。

図3:工業統計表における事業所規模別のTFPの上昇率

しかし、生産性の高い大企業がシェアを拡大することがなかったため、日本全体のTFP上昇は停滞したわけです。日本では雇用の保障が優先されるため、事業所を閉鎖したり、新規に開設するコストが高くなっています。ところがデータをみると大企業は実際には雇用を驚くほど減らしていて、その一方で子会社では雇用を増やしています。つまり、子会社は平均労働コストが親会社より安いため、人件費を抑制する目的で人員を子会社に移すことが盛んに行われたわけです。ただし一般に生産性は子会社のほうが親会社よりも低くなりますから、人員と仕事を子会社に移すことによって生産性は上がらなくなってしまいます。

また、大企業が積極的に海外への生産移転を進めたため、国内での生産拡大が実現しなかったこともあります。

一方、中小企業の生産性が停滞した原因ですが、R&Dが大企業に集中して中小企業では活発化しなかったことが挙げられます。これには、バブル崩壊後の不況期に大企業が垂直系列を見直して中小企業との取引を整理したことによって、大企業から中小企業への技術移転が進まなかったことも考えられます。ただ、この点は推測であり、実証していくためには取引関係に関する長期のデータが必要になります。

独立行政法人経済産業研究所「「失われた20年」の構造的原因」

5. バブル崩壊から学ぶこと

バブル崩壊から学ぶことは多いです。過去の事例を振り返り、バブルの兆候やリスクを理解することは重要です。また、適切な経済政策やリスク管理の重要性も浮き彫りになります。バブル崩壊の教訓を活かし、持続可能な経済発展を目指しましょう。

まとめ:

バブル崩壊は経済や社会に深刻な影響を及ぼす現象です。過去の事例を通じて、バブルの兆候やメカニズムを理解し、リスクを適切に管理することが重要です。私たちはバブル崩壊から学び、持続可能な経済発展を目指すべきです。

 

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